結愛ちゃん心愛ちゃん栗原勇一郎被告船戸雄大被告

新型肺炎から考察するホロコーストと結愛ちゃん心愛ちゃん虐待死の真相

結愛ちゃん心愛ちゃん栗原勇一郎被告船戸雄大被告

「愛」という共通の文字が名前に入っているからなのか、それともそもそも人の記憶とはその程度のものなのか私には分からないが、恐らく国民の多くは結愛ちゃんと心愛ちゃんの虐待死事件についてもうすでに区別がついていないであろうと思う。

「結愛ちゃん」とは東京都目黒区で継父から虐待を受けて亡くなった船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5歳)の事で、「心愛ちゃん」とは千葉県野田市で実の父親から虐待を受けて亡くなった栗原心愛(みあ)ちゃん(当時10歳)の事である。

裁判記録をつぶさに追いかけていたが、そこから両事件の真相(なぜこのような事件が起きたのか)は私には理解できていなかった。しかし、心愛ちゃんに虐待を加えて死亡させた実父勇一郎被告の裁判での主張を知り、そして、新型コロナウィルスでの異常とも思える「自粛しない奴はけしからん」的な世論形成を現在進行形で体感して「ん?もしかしてこれって、、」と気づいたことがあったの私感をつづってみたいと思う。

私が思い出したのはアドルフ・アイヒマンである。ユダヤ人を大虐殺したホロコーストを主導した内の一人とされ世紀の大悪人として処刑された人物として有名だが、アイヒマンの裁判を傍聴していた哲学者ハンナ・アーレントは全ての裁判を終えてアイヒマンのことを綴った著書「エルサレムのアイヒマン」の中で、アイヒマンのことを「ただの役人だ」、つまり、どこにでもいる平々凡々としたただのおっさんだったと総括したのである。

アドルフ・アイヒマン
アドルフ・アイヒマン(眼鏡の男)

誰しもがアイヒマンのことを異常者だと信じていたし、特に被害者であるユダヤ人からするとハンナ・アーレントの主張を受け入れるわけには到底いかない。ここでアイヒマンのことを改めて論じる気も私にはないが、心愛ちゃんを虐待死に追い込んだ実父勇一郎被告の

「死に至らしめた事は認めるが決して虐待ではなかった」

と裁判での一貫した主張、そして新型コロナウィルスでのちょっと異常とも思える「自粛こそ正義である」という大衆の声を現在進行形で味わい、「もしかしてハンナ・アーレントが言っていた平凡な人がアイヒマンになると警告したのはこれのこと?」と思ったのだ。

ここで新型コロナウィルスでの私の立場を明らかにするが、私はビジネス的には自粛積極推進派である。私は普段医療機関への集患支援業とサラリーマンの二本立てで生計を立てている。サラリーマンのほうは自粛が続こうが続くまいが固定給が入ってくるので家計的に致命傷にはならないが、新型コロナウィルスのせいで医療機関は大混乱し集患どころの騒ぎではないので完全に商売上がったりなのだ。

つまり政府が自粛を緩め、もし仮にオーバーシュートでも起ころうものなら医療機関に患者さんが殺到し、私の集患支援業は閉店ガラガラ状態に追い詰められてしまう。なので、チンタラやってないでさっさと都市封鎖でもしてもらって1日も早く新型コロナウィルスを終息させて欲しいと思っている。

だけれども、その一方でこうも同時に思っているのだ。「自粛主義者側には入りたくないな」と。それはなぜか。

私は総合格闘家である。プロ格闘家ではないし試合に出ているわけではないので「なんちゃって格闘家」「下手の横好き」程度のレベルかも知れないが、日本人の中では身体が小さくない部類に入ると思うので、街中でケンカをしたらそんなに弱くはないであろう。

格闘技は体重制の競技であることは良く知られているが、実はもう一つ「だいたい同じ強さの選手としか試合をしない」という不文律がある。ボクシングでいえば日本ランカーと5回戦選手が試合をすることはありえないし、柔道でいえば白帯の選手が黒帯の選手とガチンコで試合をすることもありえない。理由は簡単で「弱い方が大ケガをする可能性があるから」である。ヘビー級の世界ランカーが軽量級のアマチュア選手と試合をしても、アンフェアなだけでそこには何の価値もなく、場合によっては対戦相手の生命にすら関わってしまう。

街中でケンカを売られた事は何回かあるが人を殴ったことは一度もない。基本的には謝って穏便にすませ、どうにもならない場合は逃げるようにしている。プロ格闘家ではないので明らかに先に手を出されたケンカであれば殴り返したとしても逮捕される事はないと思われるが、格闘家の拳は凶器だし道路で相手を投げ飛ばせば頭を打ってしまい無事では済まないだろう。圧倒的に力を持っている者は弱者に対してその力を行使してはならないのだ。

新型コロナウィルスにおける自粛主義派は、言ってしまえば全盛時のマイク・タイソンくらいの力を持っている。一方の自粛解除派は空手を始めたばかりの小学生の女の子くらいの力しか持ち合わせていない。小学生の女の子がマイク・タイソンを目の前にしてできることはあるだろうか。暴力団や半グレを目の前にして文句を言える人がどれだけいるだろうか。

マイク・タイソン

状況をひっくり返して説明を続けてみる。クラスターが発生しやすいライブハウス経営者たちの会合があり100人ほど集まったとする。中には見るからにおっかない顔をした経営者も紛れ込んでいるかも知れない。そこに自粛主義派が少人数で乗り込んで「自粛しろ」と彼らに正面切ってどこまで言えるだろうか。ライブハウス経営者に囲まれて

「従業員が露頭に迷って自殺者が出たらテメエ責任取れるんだろうな!!」

と罵声を浴びた時、多勢に無勢の自粛主義者が「自粛が絶対に正しい!オーバーシュートしたらあんたらこそどう責任取るんだ!!」とおっかない顔した経営者たち相手に言い返すことができるだろうか。

恐らく、自粛主義者たちは自粛によって大きな損害を受けない無関係者、あるいは自粛をしても生活が破たんしない小金持ちであるものと思われる。もし仮に私が旅館業やライブハウス経営者なら「自粛は仕方ないかな」くらいのセリフはやせ我慢で言えるかも知れないが、「自粛すべきだ!」とは死んでも言わない。むろん、「自粛を解除すべきだ!」と大きな声で心の内を外に向かって叫ぶことも絶対にない。自粛主義者たちから猛攻撃を受けて大炎上してしまうことが火を見るよりも明らかだからだ。

アール・ナイチンゲールは「大衆は常に間違える」という名言を残し、スペインの哲学者オルテガは著書「大衆の反逆」の中で大衆の愚かさを説いた。

アール・ナイチンゲール
アール・ナイチンゲール

自粛解除が正しいと言いたいわけではないし、むしろ私はもっと厳しい自粛要請をして欲しいし何なら罰則付きで外出制限して欲しいとさえ願っている側の人間である。しかし、格闘家でもある私は「戦いとは常にフェアであるべきだ」と思っている。自分より弱い者と戦って得られるものなど何もない。格闘技は試合での勝敗も大事であるが、それ以上に「フェアであること」を価値観の根底に置いている生き物なのだ。

新型コロナウィルスにおける今の議論がフェアだとはとても思えない。議論のリングに上がっているのは全盛時のマイク・タイソンと、空手を習い始めたばかりの小学生の女の子である。フェアな議論をした結果として自粛継続するのなら一向に構わない。しかし、今の日本の自粛議論はただ一方的な暴力になっているように思えてならないし、これで日本が良い方向に進むとはとても思えない。

結愛ちゃんや心愛ちゃんはなぜ死なないといけなかったのだろうか。心愛ちゃんの実父である勇一郎被告は自分が間違っているとはこれっぽっちも思っていないことは裁判での証言からも明白であるが、新型コロナウィルスにおける自粛主義者と立場が似ていやしないだろうか。もし仮に心愛ちゃんや心愛ちゃんの母親に力があり勇一郎被告と対等にやりあえたのであれば心愛ちゃんが亡くなることはなかったと思う。

今の新型コロナウィルスにおける自粛派と自粛解除して欲しい派の議論は対等な立場とはとても言えない。また、

「今月東京都で、新型コロナウィルスに関連する自己破産をきっかけに自殺した人の数が合計で3名になりました」

「今週、新型コロナウィルス関連で事業を畳んだ店舗は大阪で14店舗でした」

という統計ニュースを我々が目にすることも絶対にあり得ない。あったとしても大きな旅館が潰れてしまった時等であり、その倒産したニュースのコメント欄には

「もともと経営が悪かったんだろう?」
「中国のインバウンドに頼るからだ」

と言う辛辣なコメントが少なからず付くであろうことは予想するまでもない。

自粛による倒産や自殺の因果関係を証明することは不可能だ。できたとしても薄い相関関係を突き止められる程度である。それなのに、

「人命が何より大事なので今は自粛すべきである」

とわざわざSNSなどに投稿する社会的影響力が大きい人たちの事を、私はサイレントキラーと呼んでいる。大物が自粛しようと声を上げてしまったらそれはそのまま大衆の正義になり「〇〇さんもこう言ってるじゃないか」と茶坊主たちに二次利用され暴力装置はさらに加速していくだろう。

私は経済自粛が間違っていると言っているのではない。そうではなくて、声をほとんど上げられない弱い相手に対して、たとえ柔らかい口調であったとしても「自粛すべきでしょ」とSNSやテレビを通じてヒーロー顔で言うことを「それをいじめと言うんじゃないの?」と問題提起しているのである。

言われた側は何一つ反論できないし反論する力も持ち合わせていないのだから。そう、結愛ちゃんや心愛ちゃんのように。

船戸結愛ちゃん 栗原心愛ちゃん
船戸結愛ちゃん(左) 栗原心愛ちゃん(右)

誰しもが自分の事を「心優しく他人への思いやりに溢れたまっとうな人間である」と信じて疑わない。あの勇一郎被告ですら自分が正しいと最後まで主張したのだから、多くの人は自分が間違っているなどとはイチミリも思わないのが普通だろう。

結愛ちゃんは継父の船戸雄大に殺され心愛ちゃんは実父の栗原勇一郎に殺されたが、この虐待死事件の真相はそこにはない。幼い子の命を奪ったのはたまたま船戸雄大や栗原勇一郎であっただけであり、彼らは精神異常者などではなく、恐らくはハンナ・アーレントで言うところの「どこにでもいるただのおっさん」なのだ。

であるならば、弱者の命を奪う殺人者が今度は自分かも知れないと思えるかどうか。虐待死事件の真相はまさにここにあり、このように思えないのであればきっとまた我々は第二の結愛ちゃんや心愛ちゃんを生み出してしまうであろう。

以上
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